アーティス主宰・鮫島貴子について
鍛金という技法に大学で出合い、卒業制作であかりのオブジェをつくったことから、私は山田照明という照明メーカーに就職しました。そこで、建築設計者向けの情報誌「サイエ」というPR誌を企画・編集することになったのです。(本当はオブジェのような照明をデザインするつもりだったのですが) |
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最初は、私は新入社員でもあり、建築に関しても編集に関しても全くのド素人だったため、外部スタッフの方々のご指導のもと仕事を進めておりました。ところが、若気のいたりなのでしょうか、1年が経ったあたりから、上司に全てをまかせて欲しいと願い出ました。それからは、企画に始まり、取材、編集、デザイン、印刷に至るまでほぼ一人で取り決め、実行することになったのです。(卒業制作を搬入した次の日から1ヶ月間、始めてのヨーロッパ一人旅に出て、変に自信をつけたその頃の私は、まさに恐いもの知らずの人間でした。)疑問に思う事を追求し、どんなものづくりをすべきかということを取材しまくりました。そして、国内外の現状を見るにつれ、言葉で表現するのではなく、本来、私がやりたかった「自分の手でものをつくる」という方法で伝えたいと強く思うようになっていきました。 |
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やがて、学生時代からの一つの夢であった「パリに住み、生活の中で自己表現について考える」ということを実現する時がやってきます。会社の理解もあり、様々な国に単身飛び、取材などを重ねていくうちに、外から日本を、そして日本人としての自分を客観視してみたいという思いが強くなってきたのです。就職した当時は3年間会社勤めをし、お金を貯めて行こうと考えていたのですが、既に4年が経とうとしていました。
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卒業制作
「私はこうありたい〜Parce que c'est ma
vie.〜」
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パリに住んで、驚かされることはいろいろありました。中でも、今の私の仕事のスタイルを決めた出来事があります。 着いた時には、寝袋一つしかなかったので必要最小限の家具や食器などを手に入れることから日々がスタートしました。
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ある日、家具のショールームに出掛けました。その中に、目を惹く木製の3段キャビネットがありました。一目で気にいったので、買う事に決めたのですが、店員さんはカタログを見せて「取っ手はどれがいいか、色はどんなのがよいか」など、木の肌合いまでいろいろ聞いてくるのです。私は、ディスプレイしてあったその家具が欲しかったので、変な事をいろいろ聞くなあ、、と思っていました。
日本で多少の勉強はしていましたが、着いた当初ですし、小難しいことを早口で言われてもよくわかりません。とにかく、意志を伝えて帰りました。在庫があれば、すぐに送ってくれるのだろうと思っていたのに、1週間経っても何も連絡がありません。不安になって、電話をしてみました。すると、2ヶ月は待つ事になると言うではありませんか。その時はじめて、その家具がオーダーメイドのものなのだと知りました。 |
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本当はすぐにでも欲しかったのですが、特注品だと思うと、待つのも楽しくなるものです。職人さん達が木を刻んでいる姿を想像しつつ、指折り届く日を待ったものです。そのようにしてパリで購入したもの達は、今でも私の側におります。 | ||
欲しいものを手にいれるのに、時間がかかってもよいのではないか。作り手と使い手が納得した時に、はじめてよいものが生み出されるのではないだろうか。「顔の見えるものづくり」に私がこだわるのは、そうした経験をしたからです。
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私が、工房内で「クリエイティブコース」を開いているのも、週末の田舎暮らしで木製フェンスや物干し台などをつくったりしているのも、畑や庭で作物やお花を育てているのも、今までに出会った様々な人達の生き方に触れたからです。つくる意志さえあれば、どんな人でも物をつくることができます。自分でつくった物には愛着が生まれます。それが大変であればあるほど。そして、物を大切にするようになると同じに、本物を見極める力がつくのだと思います。 私自身、これからもいろいろなものづくりにチャレンジしていきたいと考えています。 |
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房総の週末田舎暮らしの家の玄関のためにつくったポストです。 | |